2011年 03月 30日
娘たちの事 いまの思い
地震以降、原発に関する情報を発信しているけれど、あまり自分のスタンスを語ってなかったので、簡単に語ろうと思う。正直言って 食料や水の調達や 描いている本の仕上げや依頼のイラストや 義援金を募金することや 子どもたちの事、メディアを即信じられない私は自分なりに原子力の事、放射能の事、毎日毎晩とても調べたつもりで あまりにいろいろ続いたので 本当に心が忙しくて 悲しくて 混乱して 言葉を発せなかった。
結論としては 私は子どもをつれて、地震の二日後に東京から逃げました。
そしてその足で京都に行って、そしていま兵庫県にいます。
怖かったのです。放射能が。濃度もそうだけれど、内部被曝や食料などの蓄積で子どもたちに被害を与える事が。
とても無様で愚かな逃げ方でした。貯金もそんなある訳じゃなかった。親戚がいる訳でもなかった。だから原稿の前借りを出版社に初めてしたり、このブログでカンパを求めたり(!)恥も外聞もなくパニクってしまいました。
「自分だけ逃げて」と罪悪感もあるので
出来る限り社会に恩返ししなければならない と思いながら 未だ西宮冷蔵さんという親切な会社に居候させてもらっています。
あまり長く甘えるのもよくないので
周辺で物件を探して6軒ぐらい見に行ったのだけれど まだ決まらず、来週までには物件を確定しなくてはと考えているところ。
こちらの小学校の始業式までになんとか落ち着いた暮らしが出来るように準備を進めています。
下の娘は戦場取材をするジャーナリストの夫との間に生まれた子どもです。
イラクからの帰還兵で、劣化ウラン弾という原発から出たゴミで生まれた放射能を発する爆弾の関係で、被曝してしまった兵士が多くいるということを常々気にしていました。
あまり知られていないけれど、イラクのファルージャというところは劣化ウランによる放射能汚染がひどくて、新生児の5人に一人が奇形などの健康障害をもって産まれてきます。
イラクもまた被爆国なのです。
下の娘を産んだ時も「ひょっとしたら障害があるかもしれない、でも好きになった人の子だからある程度のリスクはどんとこい!!」
と思いながら産みました。
おかげさまで五体満足な子が産まれたのですが 一歳のときに細気管支炎で入院した事があります。声がハスキーなことと、背が小さい事もずっと心に引っかかっていました。
なので余計に今回行動が早かったのかもしれません。
アーティストである事も、女である事も、ぶっとんで
ただ私は「子どもを守らなきゃ!」と動物的母性本能で頭がいっぱいでした。
子どもたちが今後生きていく人生で「あああのとき逃げればよかった」と後悔するのがいやだったのかもしれない。
そして、子どもたちが子どもを産むときに、安心して子どもを産んでほしいのです。
親というものは本当に勝手な生き物だと、思います。
そして日本中にいるお母さん、お父さんがいま不安を抱えながら暮らしていらっしゃる事と思います。そういう皆さんが少しでも安心して子どもを育てられるような環境を作りたいですね。
これから日本は何処に住んでいたとしてもある程度放射能リスクを考えて暮らしていくことになるでしょう。
「放射能時代を生きる。」というのは「根拠なく」「安全だ」と思い込むことで無理矢理不安を感じないでいるふりをする事とは違います。
正確な知識で、出来る限り守るべき命を守っていく。
そういう事なのだと思います。自治体や国に頼るだけではなく、個人個人が知恵と責任と勇気を持って。
もともと原発54基もあるこの国は、諸外国に比べて乳がんリスクが異常に高い。
国民の三分の一がガンで死ぬ国です。私の親戚もほとんどガンで亡くなっています。
それが二分の一になるのかもしれない。五分の三になるのかもしれない。
でもなるべくその被害を最小限にして 不安をすこしでもなくしていけるように
情報を発信するなど、今後も努力していきたいと思います。
東京は避難地区ではありませんが、万が一の事を考え、しばらく関西に住む方向で準備を進めています。
上の娘の最初のパパから「しばらく関西にいてほしい」
と頼まれた事も後押ししたかな。
私は「フリーだから」そういう決断が出来たのかもしれません。ある意味贅沢なことなのかもしれない。せっかくいただいた命を大事に、アートや文章などで この時代を必死に生きている人たちと連帯しながら 未来を作っていけたら、と考えています。
生き残った皆さん、日本を持ち上げるために、がんばりましょう。
結論としては 私は子どもをつれて、地震の二日後に東京から逃げました。
そしてその足で京都に行って、そしていま兵庫県にいます。
怖かったのです。放射能が。濃度もそうだけれど、内部被曝や食料などの蓄積で子どもたちに被害を与える事が。
とても無様で愚かな逃げ方でした。貯金もそんなある訳じゃなかった。親戚がいる訳でもなかった。だから原稿の前借りを出版社に初めてしたり、このブログでカンパを求めたり(!)恥も外聞もなくパニクってしまいました。
「自分だけ逃げて」と罪悪感もあるので
出来る限り社会に恩返ししなければならない と思いながら 未だ西宮冷蔵さんという親切な会社に居候させてもらっています。
あまり長く甘えるのもよくないので
周辺で物件を探して6軒ぐらい見に行ったのだけれど まだ決まらず、来週までには物件を確定しなくてはと考えているところ。
こちらの小学校の始業式までになんとか落ち着いた暮らしが出来るように準備を進めています。
下の娘は戦場取材をするジャーナリストの夫との間に生まれた子どもです。
イラクからの帰還兵で、劣化ウラン弾という原発から出たゴミで生まれた放射能を発する爆弾の関係で、被曝してしまった兵士が多くいるということを常々気にしていました。
あまり知られていないけれど、イラクのファルージャというところは劣化ウランによる放射能汚染がひどくて、新生児の5人に一人が奇形などの健康障害をもって産まれてきます。
イラクもまた被爆国なのです。
下の娘を産んだ時も「ひょっとしたら障害があるかもしれない、でも好きになった人の子だからある程度のリスクはどんとこい!!」
と思いながら産みました。
おかげさまで五体満足な子が産まれたのですが 一歳のときに細気管支炎で入院した事があります。声がハスキーなことと、背が小さい事もずっと心に引っかかっていました。
なので余計に今回行動が早かったのかもしれません。
アーティストである事も、女である事も、ぶっとんで
ただ私は「子どもを守らなきゃ!」と動物的母性本能で頭がいっぱいでした。
子どもたちが今後生きていく人生で「あああのとき逃げればよかった」と後悔するのがいやだったのかもしれない。
そして、子どもたちが子どもを産むときに、安心して子どもを産んでほしいのです。
親というものは本当に勝手な生き物だと、思います。
そして日本中にいるお母さん、お父さんがいま不安を抱えながら暮らしていらっしゃる事と思います。そういう皆さんが少しでも安心して子どもを育てられるような環境を作りたいですね。
これから日本は何処に住んでいたとしてもある程度放射能リスクを考えて暮らしていくことになるでしょう。
「放射能時代を生きる。」というのは「根拠なく」「安全だ」と思い込むことで無理矢理不安を感じないでいるふりをする事とは違います。
正確な知識で、出来る限り守るべき命を守っていく。
そういう事なのだと思います。自治体や国に頼るだけではなく、個人個人が知恵と責任と勇気を持って。
もともと原発54基もあるこの国は、諸外国に比べて乳がんリスクが異常に高い。
国民の三分の一がガンで死ぬ国です。私の親戚もほとんどガンで亡くなっています。
それが二分の一になるのかもしれない。五分の三になるのかもしれない。
でもなるべくその被害を最小限にして 不安をすこしでもなくしていけるように
情報を発信するなど、今後も努力していきたいと思います。
東京は避難地区ではありませんが、万が一の事を考え、しばらく関西に住む方向で準備を進めています。
上の娘の最初のパパから「しばらく関西にいてほしい」
と頼まれた事も後押ししたかな。
私は「フリーだから」そういう決断が出来たのかもしれません。ある意味贅沢なことなのかもしれない。せっかくいただいた命を大事に、アートや文章などで この時代を必死に生きている人たちと連帯しながら 未来を作っていけたら、と考えています。
生き残った皆さん、日本を持ち上げるために、がんばりましょう。
by renaart
| 2011-03-30 13:50