2005年 10月 29日
安易な自殺志願者
昨晩はお向かいのイーズカ家でワインパーティーが有り、おいしいチーズとイーズカフレンズの皆様と交流。
家に帰ってくると、某月刊誌の担当編集者からメールが届いており、昨晩から送っていた私からのメールが全て文字化けしてますよ、とのこと。
げ!それって原稿チェックのメールだったのに、入校直前にもう一つ直したりしたかったのに、もう入校してる時間だし〜ひえ〜これが元で大問題になったらどーしよーと慌てふためく心深夜2時。これでもう仕事こないかも、干されるかも。
布団に入るもうなされてしまふ。
まあきょうになって確認したら、訂正箇所は皆間に合っていたそうで、問題は無かったのだが。
来月の依頼も先ほどの電話で頂いたし、ふう、なんとかひとごこち。
こんな小さな事で、私はいつも死にたいような気持になってしまう。
それをダーリンに言うと「そんな簡単に死ぬとか言うなよ、マジむかつく」と言われる。そう、私の口癖は「死にたい。」たしかに。超ネガティブでやな感じだ。
ダーリンは戦地などで実際に苦しんでいる人や肉親の死を目の当たりにした人にであってきているから、余計に腹が立つんだろうな。
この生死を軽く考えている感じ、なんでしょうね。やたらインスタントですよね。人生が、ドライフードな。これは私が現代人である証かとも思われ、それって結構な問題とも思われ。皆さんは有りませんか、あ、忘れ物した、とか、あ、お礼を言うの忘れた、とか、払い物がたまっている、とか、窓が汚いとか、洗い物がたまっているとか、携帯の電話代が高いとか、そんな簡単な理由でふと死にたくなる事。しかもたいした事の無い自分の些細な絶望が全世界で一番大きな事に思われてしまって、他者が見えなくなってしまう感じ。
若かりし頃から、そんなインスタントな自殺願望を抱えて生きていたなあ。+失恋とか、大きな出来事が有ると、冬の海に飛び込んでみたりね。結局帰ってくるので、本当に死ぬつもりは無い訳だ。その時当人は本気なつもりなのだけど。
もちろん多くの若者と言われる人って繊細な生き物だけど、その普遍的な若者としての特質というよりも現代社会の中で進んできている問題のよーな気もすんのね。リストカットを繰り返す人々やら、簡単にキレる人々とかさ。
もしこれが私一人の問題ではないとしたら、現代特有の人間の思想形態の変化によるものだとしたら、何故そのような生死の軽量化が進行しているのでしょーかね。
死にたい、というその根本の理由とはどこか別のところに有るのではないか、
それは何処にあるのか、今何が起こっているのか、という事に非常に興味がある訳です。
ちなみに昨日は世田谷美術館で「モスクの至宝展」に行く。
美術の源流と、現在までの流れを地理的、歴史的な角度から再構築してみたいという思いがあります。
これはしんぶん赤旗の文化欄での美術評の仕事。
寺山修司、森山大道の勉強も少しはじめつつ。芸大時代よりも今の方がよっぽど勉強してるかも。
by renaart
| 2005-10-29 14:09