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地球を楽園にする芸術家・増山麗奈のブログ

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画家・ジャーナリスト・映画監督の増山麗奈が社会×アートを取材発信します!

イラクアートの置かれている状況について

昨年からイラクアートに関わってきた。
その中で様々な矛盾を感じてきた。そしてそれは今置かれて居るアートの状況に関しての新しい認識をもたらしてくれた。

せっかくなので、ちょっぴりまとめてブログにでも描きますか。
でもまとめてどこかに原稿として載せるぞ。最悪自伝に書こう。やっぱり印刷媒体にならないと今一筆が燃えないので。(すまぬブログ読者!)

まず、日本国内でのイラク、および中東への明らかな差別について。
多くの人たちは「中東にアートなんてある訳がない」と思っているわけだ。
そして自分たちが偏見を持っているという事、そしてそれが長い間中東のアーティストを苦しめてきた、そしてアーティストだけではなく一般市民を苦しめてきたという事に気がついていない。それはこの間のイラク占領の事だけではなく、もっと長い歴史の流れからきている。
それはどういう事かと言うと一時は世界を制したオスマントルコ帝国が衰退し、
欧米諸国に占領され続けてきたという歴史から産まれる認識である。
イラク戦争が始まる前も、何十年も日本には中東の現代アート専門家が居なかった。
興味を持って調べていた阿部政雄さんなども居たが、それは知識階級の主流にはならず、一般に知られているとは言い難い。
今回ハニさんの個展を開催しても、何処の新聞の文化欄もテレビも雑誌も彼のアートをちゃんと文化として報道してくれようとしない。それはまずイラク=(政治的な国)の作家である事から、危険であるという認識で。
もちろんイラクの作家が全て素晴らしい芸術家である訳がない。しかしまず評論されたり、観賞されたりする土台にすら乗っていないということだ。
それは悲しい事に日本だけの状況であはなく、イラクや中東の作家たちは世界の表舞台にのっていない。(最近はトルコ、パキスタン、イランの作家などはちょこちょこと国際美術展に顔を出す事があるが)

イラクの作家は現在「占領下で筆を持って闘う人々」という文脈でしか語られる事がない。
そしてそれは日本の反戦団体が皆、資本主義経済から取り残されたような格好でしか世界と対峙できていないという状況とも重なる。
そして彼等をサポートする人々もまた、世界のアートの流れの中でハニさんというアーティストをどう位置づければいいのかという目線を未だ持って居るとは言い難い。
親切に見える反戦団体との密接さが、よりハニ芸術を固定化させていると言う悪循環がそこにある。

ここで1つ逆説的な事が言える。世界のグローバリズムの流れに、取り残されてきた近代のイラクのアーティスト達は、逆に「売れればいい」「巨大であればいい」「発展していればいい」というような資本主義経済活動の観念から何十年も隔離されてきた。
その隔離された時間は彼等にとって独自の芸術を探求する絶好のチャンスとなった。
(それは江戸時代鎖国社会でその後世界を圧倒させる浮世絵、北斎、國吉などを産み出していた事と似ている。)

今、現代アートはマルセル・デュシャン以後アメリカ、ヨーロッパ先導であった流れから違う潮流を産み出しつつある。
中国、北京などの新しいアートの動きは、その一端である。
チェコスロバキュアや中東欧の現代美術も見直されつつある。
しかし、それらの作品が「今までおかれていた閉鎖的社会の中から、どうやって資本主義経済で生き残るか」というような方向性で語られる時、それは真の意味でのグローバリズムに変わる価値観を持った作品とは言い難いと思う。
ある意味中国の作家たちは社会主義的オリエンタリズムという自分たちのキャラクターを国際的な仮面として表層として扱っているように見える。
ハニ芸術の面白さは、彼等が占領下で自国の文明と深く対話しているという事から来る。
その崇高さは、目の前の快楽に溺れてしまって過去も未来も見失っている世界に大きな驚きをくれるのではないだろうか。

ゲルハルト・リヒターという作家がいる。東ドイツの社会主義教育を受けた後、西ドイツの資本主義芸術に触れ、現在アメリカ、ヨーロッパ、日本で大きく取り上げられている現代絵画の巨匠である。私は彼のどこか卓越した社会に対しての目線が彼の絵独特の安易な主義に溺れない優しさを産み出していると思う。社会に裏切られたという体験が、彼を新のアーティストにした。80年代までは評価されなかったアメリカ社会でリヒターが9・11の後受け入れられていったというのは、新しい価値観を求める人々の無意識からであったのではないかと想像する。

多様化する現代社会でこそ、社会に振り回され、既存のプロパガンダ以外から見付けだした独自の表現を持つアーティストは必要とされる。

決して政治的な表現である必要はない。アートは常に今の鏡でしかあり得ないのだから。
by renaart | 2005-11-29 11:18

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